序文(東シナ海・黄海のさかな 1986)
 よく知られているように,巨大なエネルギーをたくわえた黒潮と,大陸から供給された豊かな栄養塩を含む沿岸水とが接触する東シナ海には,その広大な大陸棚上に高い生産力をもつ場が形成されている。隣接する黄海を含め,この海域は世界屈指の好漁場のひとつに数えられている。この海域をとり囲む中国,韓国及び我が国の近年における漁業生産量は,詳細な統計が把握されていないが,年間400万トンを越し,恐らくは500万トンに近い水準に達しているのではないかと推定されている。このうち,我が国の遠洋・沖合漁業によるものが底魚類,浮魚類を合わせておよそ50万トンを占めているが,これに含まれない九州・山口西岸域の沿岸漁業による漁獲量を加えると100万トンを越し,我が国漁業生産全体に占める重要性はすこぶる高い。
 この海域における漁業資源は,魚類,甲殻類,軟体類を問わず,他の好漁場とされる海域に比し,きわめて多様な種によって構成されている。したがって,.この海域はこれらの多様な生物種が食物関係を軸とした複雑な生態系を形成しているところに際だった特色がある。これらの資源生物の合理的利用を目的とした研究を発展させるためには,それぞれの種の生物学的諸知見を把握することが不可欠であることはいうまでもない。
 西海区水産研究所では,長年にわたって以西底びき網漁業によって漁獲されるさまざまな生物種について,その形態や生態に関する研究をつみ重ねてきた。これらの知見を基に,漁業者や関係分野の研究者に役立てる目的で「さかなの写真集」印刷を提起されたのは昭和54年頃のことである。その後,さまざまな紅余曲折を経て,今日ここに本書が印刷刊行されることとなった。
 所載魚種は底魚類に限らず,浮魚類や頭足類などを含め330種に達することとなった。本書は,従来の図鑑とはやや趣を異にし,次の点に重点をおいて執筆されている。
(1)主要有用種については分布図を掲げるとともに,月別回遊経路も示した。
(2)有用種については形態的特徴の記載に加えて近似種の査定もできるよう検索を示した。
(3)主として底魚類については,稚仔魚の形態的特徴も記載した。
(4)有用種については,形態の記述のほかに生態学的知見,情報を収録した。
(5)写真は,できるだけ生体色と形態を正確に表現するよう配慮した。
 東シナ海・黄海における魚種は,これまで日本近海産のものと同じと考えられてきたものが多いが西海区水産研究所における研究の結果では・従来の検索や図鑑などに記載し'てある内容と形質の異なるものや,未記載の種のあることが明らかになっている。しかし,本書は原則として従来の検索に従うことにし,新種,異種同名,同種異名などの問題や,既往の問題点などについては,別途報告することとしたい。なお,これに関わって現在まで著者等の一部により,『東海・黄海並びに隣接海域における魚類の形態と生態』として5篇が発表されていることを付記しておく。
 本書の発行は・水産庁研究部の発案と強力な支援によるものであ?々特に,歴代の担当の任にあった今村弘二,小坂光昭,石田周而,竹濱秀一の各氏には,本書の完成に至る間,ひとかたならぬ御配慮をいただいた。また,懇切な監修と御指導を賜った高知大学理学部岡村収教授に深甚なる感謝の意を表わしたい。標本の採集に際しては,当研究所調査船陽光丸の前船長山中完一,現船長乾栄一の両氏ならびに乗組員各位に多大の労を煩わした。なお,一部の標本については山田水産鰹纉c勇夫氏ならびに長崎魚市褐エ田泰治氏に提供していただいた。さらに・東京大学海洋研究所助教授沖山宗雄・水産大学校助教授多部田修,長崎大学助教授竹村暢,鹿児島大学講師小沢貴和,日本海区水産研究所南卓志及び京都大学中坊徹次の各氏からは,各種の文献や稚仔魚に関する資料の提供をいただいた。また,遠洋水産研究所底魚資源部長大滝英夫氏からは分布図作成のための基礎資料を提供していただいた。さらに,同海洋・南大洋部長(前西海区水産研究所資源部室長)三尾眞一氏からは食性に関する資料を使用させていただいた。これらの援助と協力に対し厚くお礼を申し上げたい。終りに,本書のとりまとめ,.刊行に当り多大の支援と尽力を頂いた当研究所前所長の佐藤重勝氏(現養殖研究所長),及び前資源部長真子海,現資源部長森田祥,同部竹下貢二室長,篠原富美子技官を始め資源部の各位に感謝の意を表したい。
 執筆は,底魚類,甲殻類及び頭足類の一部について山田梅芳技官が,頭足類の一部と全魚種の写真撮影を田川勝技官が,浮魚類を岸田周三技官(現在,南西海区水産研究所外海資源部)が,それぞれ担当した。全体についての企画,調整および総括は本城康至技官(現在,東海区水産研究所企画連絡室長)が担当した。著者等の労に心から敬意を表したい。
 本書が関係各位の諸活動に役立つことを期待すると共に,忌揮のない御批判を頂ければ誠に幸である。

                                                  1985年11月
                                                  西海区水産研究所長 水戸 敏